介護付老人ホームに入所しました

もろもろの手続きを終えて、妻の両親が施設に入所しました。隣り合う部屋の確保や最上階であったことなどから、年金だけでは賄えない費用もかかりますが、2人の貯金を足らず分に当てていけば数年は大丈夫です。

その後の事は、その時に考えようと思いますが、我々にも多少は蓄えがありますので何とかなるでしょう。

今は、二人の介護が一気に軽減される妻の介護ロスを心配してます。
あーしてほしい、こーして欲しい、あんな所があります、こんな所があります、あれは出来ますがこれは無理、等々。

介護職員にアレコレ言いたいのはわかるけど、任せた限りは口出しは程々にね。

彼女の頭の中の介護はまだ続いているようですが、滞っていた僕らの時間を取り戻していこうと、思います。

と、書いた翌日から、毎日鳴る妻の携帯電話。
この話は追々に、簡単には進みません。

大城美佐子さんが亡くなられました。

ブログでタイムリーに取り上げるほど大城美佐子という歌手を知っている訳ではない。代表曲も知らないし、新聞で見た有名曲もわからない。なのに、名前は知っているし、歌も耳にしたことがある。農連市場でモヤシのヒゲを取っていた映画の記憶もある。まだ、三線にも沖縄の唄にも興味を持たなかった頃に聞いていた名前だ。

何故だか、キチンと唄を聴いていなかった事が悔やまれる。いま、三線が好きで、古謝美佐子の唄を聞きに行く僕だからこそ、聞きたかった唄者さんだった。

コロナ禍で唄う機会を奪われていたのではと、時世を哀しんだりもする。ご冥福をお祈りいたします。

 

投げ納めと初投げ

過ぎた後に思う事ってありますよね。よく考えたら、あの日以来会っていない友達とか、秋に騒いだのが去年のラストカラオケだったとか。

今にして思えば、昼間に用事で出ている妻を待っている間に投げたイヴの日が、去年の投げ納めだった。親指の皮を剥いたものの7ゲームの内4ゲームで200UPしたのだから、調子の良い日だった。けど、皮を剥いたせいで本当の最後の投球を覚えていない。年内にもう一度投げるつもりでサムホールのバベルを取りまくり、フィンガーで微妙に飛び出していたゴムを妻が綺麗に削り取ってくれたのに。
後で思ってから気付く投げ納めと違って、新年の投げ始めは確信犯だ。三連休に期待していたけど、何かと忙しかった。えーっと、来週は両親の入所か、再来週かな?いや、また孫たちが来ると後回しになるな。
今にして思えば、去年の投げ始めは桜の季節になっていたなぁ。

今さら電車でGOを買ってもいいものか

ニンテンドー64で専用コントローラまで用意して遊んでいた電車でGO。なかなか上手くならなくてコンプリートには程遠かったけれど、カセットソフトの終わりとともにうちのゲーム機は64からキューブやプレステ2に代わってしまった。
もう一台専用コントローラを買えるほど、嫁の興味を惹けるゲームではない。ときどき無性にやりたくなるけど、ソフトもハードも既に見当たらない。

 

そんな僕に風が吹いた。
電車でGOプラグアンドプレイなるものを偶然目にしたんだ。PS4のソフトと思っていたら画像が古臭い。よく見ると、専用コントローラに以前のソフトを移植したものらしい。つまり、すでにPS2を持っていなくでも遊べる仕様になっている。昔のものだけあって、画像は古いが大阪環状線や特急まで揃っているのは、むしろ高ポイントだ。

 

電車の運転に興味のない嫁に有効な風は孫息子だ。僕に似て電車好きで2人でしまかぜやシンフォニー、はるか、プレミアムな特急に乗るのが楽しみだ。自動車に乗ると運転士の真似をして笑う。
嫁は孫の笑顔に滅法弱い。
買っても、孫に直ぐには知らせない。僕が操作に慣れて上手くなってからだ。息子はコレが苦手だった。父ちゃんに出来ないことを爺ちゃんがやる!
僕は孫の褒め言葉に滅法弱い。

間違って覚えていたウサギと赤い靴

美味しいじゃなくて追いしだったとか、良い爺さんじゃなくて異人さんだったとか。

歳をとってから正しい歌詞を聞いて恥ずかしさを感じることはありませんか。

ウサギ美味しいかの山。
かの山って所はウサギが名物料理なんだ。
同じように思っていた人、いませんか?

 

良い爺さんに連れられて行っちゃった。
赤い靴の女の子は良い爺さんのところに行ったんだと思っていたら、異人さんに売られた唄だったんだ!と、童謡の怖さに驚きましたが、これも間違いでした。
貧しい夫婦がアメリカ人の宣教師に養女に出したものの、渡米前に9歳の若さで亡くなってしまった悲話らしいです。異人さんだけど良い爺さんだったのかも?
ありますよね?
ずっと間違いを覚えていたと気付く瞬間。

夢で見た名護の新名所

熱関水と書いて[ひやかんすい]と読む、と言う夢を見た。

どうやら、名護市内を車で走りながら立ち寄ったお店の情報。でも、店も道にも、海の景色や香りが全く無くて、僕の知る名護の景色はどこにも無い。夢の中で勝手に名護市に居ると認識しているだけ。

お店のお姉さんが言う。「ひやかんすいには、もう行きました?」聞き慣れない言葉に「ひやかんすい?何そこ?初めて聞きました。」お姉さんが応える。「新しくできたところなの。せっかく来たんだから行かなきゃ。熱いカンスイと書くの。」やはり聞き返す。「カンスイ?って」今度は知らないの?とでも言うように「関の水って書くのよ。熱い関の水って書いて、ひやかんすい」

なんで熱いのにヒヤなんだと思うけれど夢の中では、いつの間にか現れている妻も納得している。

「どんなところなの?」

聞いたところで、5:55の目覚ましが鳴り響き、大阪で僕を目覚めさせた。

起きて最初にした事は『熱関水と書いてヒヤカンスイと読む』とメモしておいた。もちろん、後に調べてみたけれど「ひやかんすい」など、どこにも実在しない。ただ「関水」は、あった。関所近くの川や清水らしく、特に滋賀県の逢阪の関の事だと言う。

もう少し詳しい話を聞きたいけれど、夢の中の名護のお店のお姉さんには、まだ、再会できていない。