父が死んだのは65歳だった。

沖縄の慰霊の日だと、今朝のニュースで知った。親父の弟、つまり僕の叔父さんの名前も慰霊の碑に刻んである。まだ20代だったのに本島を襲う砲撃で命を奪われたと聞く。
子どもの頃から聞いていた叔父さんは、親父の弟で親父と一緒に歳を重ねていた。
沖縄戦で亡くなったのだから、中年にすらなれなかったのに。

父は戦争で何度も命を落としかけた、銃殺の丸太に括られた事もあったらしい。奇跡のような偶然を何度も頂き、長らえた命で今日の僕がいる。

僕も定年を過ぎ、再雇用を経て歳をとった。
不思議な事に、僕の記憶の親父は時折好々爺になっている。齢100歳を数え、さすがに昔の恰幅はない。
子供の頃を思うと、元気な頃の父の姿だけれど、その姿の父の年齢はとうに追い越している。もう数年もせずに、亡くなった歳に追いつく。

僕は、何を残そう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA