風葬地

古い都には風葬地と呼ばれる墓地が存在します。火葬の風習がなかった頃、遺体をまとめて放置される場所が都の外れに作られたようです。

沖縄では、ほんの50年くらい前までは風葬が残っていたと言います。ただ風葬と言っても単に放置するのではなく、5年や7年と一定期間が経過した後に、親族が変わり果てた遺体を洗い甕に移す洗骨という作業を要したと言います。正直、今の僕らの感覚からすれば、いくら親兄弟でもキツイなぁと思います。

内地に配備されるイージス艦の費用等で政府から取り止め意見が出るものの、辺野古には言及しませんね。

ブタ

沖縄で豚肉と言えば石垣のアグー豚って事になるのでしょうが、父の日のプレゼントに二男が持って来た豚肉の美味かったこと。見た瞬間にいつものスーパーのバラ肉とは違っていたけど、Tシャツだと思って開けた袋にスーツが入っていたみたいな感じ。(例えがおかしいけど。)

低温の湯に泳がせ、ピンク色が無くなった瞬間に引き上げる肉。至極の味わいだぁ。程よい肉の弾力と脂の甘み、牛では出せないサッパリ感。美味しかった。

父の日に豚肉?

さすが、ウチの息子です。

赤い海

今朝のテレビで言っていた。約2Kmに渡り沖縄の海が赤く染まっていると。赤土か!なんて思ったけれど、甦ったサンゴの産卵らしい。

読谷のサンゴ畑を思い出す。微力だけどサンゴの養殖を応援した、映画てぃだカンカンも見た。

甦る。自力でダメなら助けてもらって甦ろう。そして誰かを助けよう。

暖簾に腕押し

認知の義父母に対する妻の闘いは5年に及ぶ。良くはならない状況で、何度もつく嘘に何度も目くじら立てても暖簾に腕押し。押してもダメだから暖簾を引きちぎる勢いで妻が怒っても、ムダと暖簾に書いてある。

介護の終わりは見えない。

ムダと書いてある暖簾を、何度も押して、引いて、めくって、引っ張っている妻に暖簾を読めとは言えない。

驚くのは、時折、時が遡ったように両親が礼を言う。認知は悪化の一途と言われているけど、医者も驚く緩やかな悪化もある。

暖簾に書かれていたのは「夢」かも知れない。

づぼらや

、左手にづぼらやの河豚と右手のビリケンをアングルに捉えながら通天閣のそびえ立つ様を写真に納めた人は皆落胆するだろうな。いかにも大阪を象徴するかのような交差点の景色が変わるのは少し寂しい。

ふと、思う。

道頓堀のくいだおれを思い出す。あの人形が姿を消した時も寂しかった。

あれ?

くいだおれ〜には、一度しか入ったことがない。づぼらやのてっちりは、数回は食べてる、この30年間で。てっちり屋さんなのに店内の河豚より看板のふぐをタダで味わってました。

なんか、ゴメンナサイ。

スーパーシティ

恩納村が国家戦略特区に応募して、地元の大学と連携しスーパーシティを目指す!なんて記事を見た。

オバーに言われそう

「オキpay使いなさいよ、今どき、現金ねー。飲み物これね、どこのホテルよ?部屋番は?ハイハイ、じゃ7時頃にベランダにドローンで届けとくからね。取るのを忘れないでよ。」

沖縄のオバーは、新しいもの好きだからなー