あの子ら「ふたご」やで

息子の代わりに孫娘をダンス教室に送ってきた。
ガラス越しに楽しげに踊るのを見ていると、『アイツ一番うまいやん』と感心してしまう。いや、親バカでなく上手かったはず。確かに上手そうに見える子もいるけれど、キレが良い。
おや、あの子達はお揃いの服を着ている。顔もよく似ているから、一瞬双子かと思ったけれど、区別できるくらいだから、ふたごだったとしても二卵性だろう。

練習終わって出てきた孫に、こっそり聞いてみた。
「なぁ、あの子らって、双子なん?」
振り向き、その子達を見る。
『そう、ふたごやで』

僕と違い、”双子”説を支持していた妻はドヤ顔だ。
でも、続けて孫が言う。

『でも、齢は違うねん。さっき喋った方が妹』

・・・・双子ってコトバ。知らんな、コイツ。

(一瞬、「双子同士の友達」なんてオチを思いついたが、絶対無い)

モーニング

ガーデンカフェにモーニングを食べに来た。ガーデンのツツジはチラホラだったのに、満開の賑わいを見せてくれる。カウンターには催事の無料招待券が置いてある。

割と忙しいのに、無料券のために問答無用でココに座らされている。

東のアガサから街を見下ろす

東のアガサとは首里城の物見台だ。
僕のブログの現在の写真は、東のアガサから撮った街並みだ。
と、思っていたはずだけど、写真をじっと眺めて疑問が湧いた。
「なぜ瓦がある?」
左側に木の階段が見える。
「木?石の階段じゃなかったっけ?」
これはアガサから見た景色じゃない。

いや、断言するのは早計だ。
行って確かめれば済む事じゃないか。
まず、妻に言って確かめよう。
「この写真の場所を確かめたいねん」
いや、確かめるまでもない。この手はダメだ。

ネモフィラを覚えた時のこと

自分が当たり前に知っていたことを、相手が知らないと
「え?」
なんて、やる必要のない感嘆符を付けることってあるよね。
僕にとっては”常識”なのに、彼女が知らないと
「え?知らんの?」
とか、言ってしまっていたみたい。
言う方には微かな優越感だけど、言われた方は、まあまあな屈辱を味わったのか、ふとした機会に反撃を喰らう。

「今度ネモフィラ行かん?」
『なんなん?店の名前』
「え?ネモフィラやで」
『ん?何やったっけ』
「え?ネモフィラやで、知らんの?青い小ちゃな花やん、前にも見たやろ、舞洲で、百合園やったとこかな、ネモフィラって有名やん、覚えてない?知らんかー」

日頃の僕の行いの悪さなのか、彼女の反撃はまあまあキツい。

占いの本

図書館で占い関係の本を借りた。
TVでお馴染みのレオンさんと星さんの2冊。
なかなか面白い。
もちろん、誰にでも当てはまるような言い回しの部分はあるけれど、生年月日や血液型、手相なんかで、統計的にみて性格や性向がある程度似通って来るのは理解できる。
占いはサポートで、生き方を運命づけるものではないと言うことも理解できる。
誰にでも当てはまる言い回しは、誰にでも当てはまる倫理観が存在するのだから、理解できる。
自分を知り接する相手を知れば、余計な諍いを回避し、求める親交を深める事に有効だ。
あああ面白い。
開業したら、もう一度読み直そう。
ん?
僕の星周りは嘘や隠し事ができないのか。


ま、知らんけど。。。

雨音とシャワー

少しぬるめのお湯に浸かり、primeでアニメを見ていた。ふと気づくと強めの雨音がする。雨の降る音は嫌いじゃない。長湯も嫌いじゃない。

時計を見ると深夜0:30

日付を跨いで風呂に入ってる。そろそろ、長湯に気づいた妻に怒られそうだ。シャワーを浴びて出よう。