もう、遊び方や飲み方に慣れようよ。

2週間連続で前の週を上回る新規感染者が確認されたって言う。感染経路のわからない市中感染がほとんどだと思うけれど。
孫と野球中継を見ていた、わじわじしてモヤモヤの残る試合だったけど、途中で孫が呟く。
「あ、あの人マスクしてへん、こっちは、何か食べてるみたいやから、イイか。」
ドキドキ。
飲んで、マスク外して、飲み続けて、外し続けるのか。
大川沿いも、花の陽気に誘われて、屋外テラスは満席やったなぁ、でも、大人な飲み方の人が多くて、静かなもんやった。

もう、コロナ禍の飲み方も覚えたよね。
大声出さない、マスクをしながら話す。

孫と甲子園に行くまで、クラスター出さんといてなぁー

インプラント手術

下顎の骨をグリグリ削るの。
嗚呼、骨伝導ってこう言う事かぁ。
麻酔が効いて痛みはないけど、削る音が骨を通して伝わってくる。
「奥の親知らずも抜きますね」
抜くの?
メチメチって剥がれる音がする。

痛み止め(薬) 前の4倍くらいあるんですけど、「痛くなった時だけ、飲んでくださいね」
この量くれるって。
痛くなるんですね。。。。

無差別殺人

ウクライナの首都キーウ郊外で民間人と見られる遺体が散乱していたとニュースが伝える。
よく言われる事だが、5人殺めれば殺人鬼と呼ばれ、500人殺せば英雄と呼ばれると、戦争を揶揄した表現だと思う。
ロシアに英雄はいたのか。

3月の日焼け

桜の開花を耳にして久しい4月だというのに、首のマフラーを外すのに勇気のいる寒さが続く。
パッチを履きながら、習慣になっている沖縄の天気を見ると、最高気温21℃とまだ低めだ。うす曇りだと海には入れないなぁ。
なんて、思う。
そして、毎年思い出す。
初めて子供を連れて行った沖縄は四半世紀前の3月の終わり。
海開きには早かったけれど、あまりの快晴につられて海水浴をしたら、沖縄の日差しは暖かく熱く僕らをこんがり焼き上げてしまった。
3月31日に眠れないほどの日焼けをしたのも、楽しい思い出だ。

あの時も、大阪に戻った花冷えに風邪をひいたっけ。

絶対に話すと思ってたら話してた話

友人Aの旦那Bさんと男湯でひと言。
「俺、もう会社辞めようと思うわ。でも、絶対に奥さんには話さんといてな。」

A夫婦と別れて、妻にひと言。
「て、作り話したけど、アイツら仲良し夫婦やから、すぐにバラしてると思うわ。たぶん、AからCちゃんに話して、Cちゃんがお前に聞くわ。」

半月後
Cちゃんから妻にひと言。
「パパさん辞めはるんですか?」

妻が僕にひと言。
「Bさん、やっぱり、すぐにAちゃんに話したみたいやね〜」

僕からひと言。
「そんなすぐに辞めないですよ。でも、できることなら4月1日にネタバラシしたかったなぁ。」

4月は春だ

大川の桜がいっせいに一斉に咲き誇った。
花冷えのする遊歩道にも人があふれる。
屋形船はさっそく花見客を乗せに来たのだろうか?桜に魅せられて人が動き出す。
実は、一向に収束しないコロナの気配も感じているけれど、もう我慢疲れだ。

今日から4月。
もう一度マフラーを取り出したけど、春だ。
どんどん暖かくなる春が来た。