デイゴの花は知ってたけれど、デイゴの木は知らなかった

うるま市の天願地区にある二本のデイゴの木。
"天願の夫婦デイゴ"のRBCニュースを見て驚いた。デイゴの花のイメージから、背丈ほどの木と思っていたら、なんじゃこら!てな、大木だった。木というより樹だ。そびえ立つ大木が赤い花を咲かせている。一瞬、桜の大木を思い浮かべたが、桜ほどの華やかさはない。だけど桜にない強い赤が木とのコントラストを際立たせて美しい。

あつ森のデザインにデイゴの花を描いてるのに、島唄で何度もデイゴの花を歌っているのに、デイゴの木は知らなかった。ん?描いたのはハイビスカスだっけ?

知ったかぶりの沖縄うんちくを語っているけれど、沖縄の人なら誰でも知っているような事も知らない。結局、知っている事しか知らないんだ。

でも、新たな知ったか知識を得たな!と言う思いはある。「天願って地名、カッコいいよね。」なんで言うのも、新たな知ったか知識です。

沖縄が大変なコトになっている

200人を超える感染者の報道に、ぼくの周囲から驚愕の声が聞こえてこない。1000人を超え続けた街は200や300といった数字に大袈裟な反応を示さないようだ。
けれど、沖縄の人口は150万人に満たないし、沖縄に大変な危機が訪れている。

200人を超える感染者の報道に、ぼくの周囲から驚愕の声は聞こえない。1000人を超え続けた街は200や300といった数字に大袈裟な反応を示さないようだ。
けれど、沖縄の人口は150万人に満たないし、離島ややんばるも入れた人口だから、1000人を超えていた時の大阪の状況と何ら変わらないのではと思う。

GWに訪れた観光客が原因ならば、台湾のように県外者を迎えるときには、強制隔離措置も必要なのかも知れないと、さえ思えてくる。

政府は、来月20日まで緊急事態宣言を発出したけれど、心配の種は尽きない。

7月に退職旅行で沖縄に行きたい僕のささやかな望みも、観光客になってしまう僕の種だ。
お願い、収束して。

土砂降りの甲子園の前に立つ

16時頃に試合の中止を知った。こちらへ向かっている孫に連絡したけど、息子から「甲子園を見せてあげて」と懇願された。
薄暗くなりかけた、甲子園の前でカッパを着込み傘を指す二人がいた。
ゆっくりと周りを歩き出すと、人混みで目に映らなかった室内練習場やレフトスタンド側も見て歩く。あ、こんな甲子園の風景もあったんや。

孫の笑顔に釣られて、何度もカメラを向ける。
「これはこれで良かったかな?」
問いかけた言葉に孫は首を振った
「ううん、すごい残念」
胸が痛いよ〜

笑いながら続ける孫
「ま、今日は雨柳さんが先発やったから、仕方ないわ。」
なんか、慰められた。

甲子園に雨降らないで、雨柳さんの先発

待ちに待った甲子園、既に購入済みのため入場できる宣言下の甲子園、今年からタイガース好きになった孫の初甲子園、昨日なら勝っていたのに甲子園、孫の好きな青柳が先発するヤクルト戦。

月曜日から天気の崩れは予報出ていた、梅雨だからねって、孫には中止も匂わせている。
だけど、ユニフォームもカッパも着替えもタオルもリュックに用意している。タイガース仕様の不織布マスクも孫の分は妻が両端を縫って子供仕様に改造しカバンに入れる。日本一の水はけを誇る甲子園球場の阪神園芸さんを信じている阪神ファン。

雨柳さんと言われてもマウンドで勇姿を見せて欲しいの、僕の孫に。嗚呼、僕も雨男だったよ。

オリオンビールと僕は同世代だった

僕が生まれる少し前の昭和32年5月18日にオリオンビールの前身となる沖縄ビール株式会社が創立された。オリオンの名前は一般公募で募集され、後に社名も変更したのだとか。

Bドルが為替で有利な点から、沖縄では輸入産業に有利だったと思いますが、県産ビールを立ち上げたオリオンビールは今となっては大絶賛に値しますよね。

古い写真に写る名護の森も変遷を見守っていたのでしょうね。定年を迎えるにあたって、想いを辿れば随分と記憶を重ねて来たものだと思いますが、僕の足元の記憶にも同じ森が映っています。

暑さの中で飲むオリオンビールの旨さは、沖縄で飲むのが最高です。

検査結果で分かったものは

この2週間は苦手な酸っぱいキャベツと美味しくないカツオと昆布の粉を飲んだ。

3ヶ月ごとに受けている検診の採血に密かに期待する。
3ヶ月前に4キロの減量で改善されてきた数値の最後の砦「中性脂肪」を崩せ!
この3週間の食事療法の自信から僕の鼻の穴は膨らんでいただろう。

40分後

GWに良いもの食べすぎましたか?色々な値が悪化してますね。カツオ!ですって、プリン体が多いですから尿酸値を上げてしまいますね。ひとつしかない腎臓の負担になりますよ。体重も減ってますか??

最後の砦の前に倒した筈のガンマや尿酸値、クレアチニンまで赤い色に復活してました。

ショックを妻に話すと同じように凹んでいましたが、2日後には青汁が用意されています。
「次はコレ」
常に前向きな彼女をすごいと思いつつ、
ん?俺は実験体か。