模索してるけど暗中ではないなぁ

先に退職して事業をしてる先輩たちに呼ばれて呑んだ。
とてつもなく資産家になった人。
堅実に拡大している人。
一年目の壁を突き進んでいる人。
開業してないのに人の輪を繋いでいる人。

僕は無職で無収入だ。
まだ、方向を見つけられない。
でも退職金で数年持つだろうから、生活苦を思わせる悲壮感はない。

人に頭を下げられない。
人を騙さない。
人の繋がりが億劫だ。
人と上手くできない。

のに、悲壮感はない。
ま、なんくるないさ。
って、きっとこんな時に使うのかな、

9月1日は伊邪那美命を訪ねていた

数年前に伊邪那美命の御陵と云われる神社をお詣りした時に、偶然、出会った女性から「〇〇だからお越しになったんですね」と、言われたけど、キョトンとした僕に「9月1日は〇〇ですからね」と、説明して頂いた。

〇〇を覚えていない。

ただ、伊邪那美命に導かれたような気がする、なんて考えるのは、国開きの神様に失礼か?

今日、言う事では無いのかも知れないけれど、来年の今日は、伊邪那美命を訪ねたい。
沖縄旅行以外の全てに優先させたいと思う。

不味いもので太りたくない

名言だと思う。
では、美味いものなら肥るのもやむを得ないのか?
答えはNOである。
例外はあるものの、美味いものは得てして高カロリーだと感じてしまう。

カリッとした衣を纏うトンカツの肉厚でありながら歯茎に負担をかけない柔らかさ。
食べた分だけ罪悪感の薄れるキャベツには、ヘルメスウスターソースにマヨネーズを和えると罪の意識はほぼ0にできる。
辛すぎず煮込まれたカレーはご飯にかける事によって糖と脂が打ち寄せる。
アルデンテに茹でられたスパゲティは蟹クリームと絡まって旨さが喉を滑り落ちる。
手羽元には、じっくり火を通し、BBQで有名になったほりにしで味付け。
溢れ出た肉汁で角切りにした山芋をソテー。
全部を食べた訳じゃない。

不味いもので太りたくない。
美味しいものを太るまで食べたくない。
食べたくないのに、今日も食べ過ぎる。

離さないと話せない。話さないと離れてしまう。

ハリネズミの距離って聞いた事がある?
人とのコミュニケーションを図るとき、余り近づきすぎると、かえって互いを傷つけてしまうって事。姿が見えるくらいに離れないと、本音は話せない。近すぎると些細な感情のズレすら気になって苛立たしくなってしまう。かと言って、傷付けるのが怖くて、嫌いになりたくなくて、何も話さないと、気持ちは離れてしまう。

他人でも肉親でも恋人でも親友でも夫婦でも兄弟でも。少し離れて話さないと、理解する前に反論しちゃう。
何も話さないと、無かったのと同じ。

兄弟の良いところは二人とは限らない事で、刺さったハリを離す3人目がいると、簡単に分かり合えた事かな。
心の距離感は難しいね。

父が死んだのは65歳だった。

沖縄の慰霊の日だと、今朝のニュースで知った。親父の弟、つまり僕の叔父さんの名前も慰霊の碑に刻んである。まだ20代だったのに本島を襲う砲撃で命を奪われたと聞く。
子どもの頃から聞いていた叔父さんは、親父の弟で親父と一緒に歳を重ねていた。
沖縄戦で亡くなったのだから、中年にすらなれなかったのに。

父は戦争で何度も命を落としかけた、銃殺の丸太に括られた事もあったらしい。奇跡のような偶然を何度も頂き、長らえた命で今日の僕がいる。

僕も定年を過ぎ、再雇用を経て歳をとった。
不思議な事に、僕の記憶の親父は時折好々爺になっている。齢100歳を数え、さすがに昔の恰幅はない。
子供の頃を思うと、元気な頃の父の姿だけれど、その姿の父の年齢はとうに追い越している。もう数年もせずに、亡くなった歳に追いつく。

僕は、何を残そう。

休みに入ると更新していない

ブログの更新は通勤途中の電車の中が多いから、仕事を休む日は忘れてしまう。
3日は天理市の石上神宮に参拝した。
4日は連休の疲れを癒やしつつ、近所を自転車でうろうろした。
5日は母に会いに行った。
簡単に書いてしまうと、なんて事のない日常が続いているけど、それなりに忙しくて、それなりに疲れて。
6日はお休みをもらっていて、平日ならではの用事を済ます。
7日は久しぶりのBBQ。
あ、今日のうちに用意をしとかないと。

義務になると、ブログは書けないから、連続投稿は難しいなぁ。