古謝美佐子キヨサクの二人唄会2
例年なら2部構成でゲスト唄者も多いのだけれど、今年は休憩中の密を避ける意味合いから1部構成で、客席も格子柄で半分以下の入り。客席の反応も薄くて演者もやりにくい環境だったけれど、高めの年齢層の観客もマスクを二重にしたり沈黙を貫いたり、ここでコロナを発生させてなるものか!の一体感が漂っていた。開演できて嬉しいのは、古謝さんも観客もお互い様という気概があふれていたなぁ。
唄はもちろん素晴らしく、伸びやかで力強く、突き刺さるようで包み込まれるような歌声がホールに響き渡る。何ヶ月も唄会を出来なかった声とは思えない古謝美佐子に涙が誘われる。
でも、最初は何処のオバさんかと驚いた。いや、トレードマークとも言うべき長い髪がない。ショートヘアのパーマをあてたオバさんだもの。頭の上に髪を束ねて巻く琉球髪は結えないでしょう。シャンソンを歌うようないでたちで琉球民謡を歌い上げる古謝美佐子。諭すようなご主人にコジャミーが言い放った。
アタマで歌うわけじゃないさ。
そら、そうだ。水着で歌っても黙らせる力を持ってるだろうな。いや、絶対に見たくはないけれど。
古謝美佐子とキヨサクの二人唄会
2年前もそうだったけど、モンパチファンとの層の違いに戸惑うキヨサクがいたな。ましてや、コロナ下の唄会は声援掛け声指笛も禁止されて、MCにつっこむ事すらできない静けさ。こんな静かな大阪は初めてだと言うけれど、案外、関西人の真面目な気質もわかってもらえたかな?手拍子や拍手しかできないけれど、目が口ほどにモノを言うなら、大騒ぎしている筈の瞬きを何度も繰り返したね。
百々、想うた、祝福のうた、最高のパフォーマンスに酔いしれたなぁー つづく
美しく勇猛な今帰仁城
美ら海水族館がある本部半島に今帰仁村(なきじん)がある。そこに僕の好きなグスクで三本の指に入る今帰仁城が在る。
本物は知らないけれど、万里の長城をなんとなく思い起こす城壁。艶かしい曲線美が勇猛な城にあって優しげな雰囲気を醸す。城門からの高低差が要塞である事を思い出させるが、城内のアチラコチラに拝所を思わせる設えが残る。まさに、オキナワだ。
内地のお城と似ていて違う側面、要塞でありながら神に祈りを捧げる祭祀の場でもある。
北山と呼ばれた頃は不落の城も、当時を偲ぶのも難しい。今も首里に対する複雑な想いを抱えたまま、美しく勇猛な城は首里も薩摩もヤマトも受け入れるイマが在る。
もう偉そうにする時代じゃない
以前、今帰仁城を訪ねた時に「このあたりは、昔、王朝に苦しめられたのよ」なんて、話を耳にした。首里ゆかりの拝所を足蹴にする様をみて、数百年の怨恨を感じたものだけれど、その首里王府も薩摩に呑み込まれた。飲み込んだ薩摩が明治政府に姿を変えると琉球王国がヤマトに呑み込まれた。そして、日本は唯一の被爆国となりアメリカに支配された。
けれど、鈍感なのか懐が大きいのか?アメリカに占領されながら技術を取り入れ平和を望み強兵無くして富国を作り上げましたよね。
恨みが人を強くするのか赦しが国を豊かにしたのか。答え合わせができません。
ビルを背景に安里八幡宮
狭い道をたどり、ナビが到着を告げた。目の前の鳥居の向こうに見えるのは背の高い2つのビル。まるで御神体かと思うほどの威容を持って迫る。外壁には隣接の幼稚園を示す看板。境内からひと続きだから、園児は八幡様に守られ放題?
聳えるビルに幼稚園、都会の中の地元の神社として生活感が漂う。が、れっきとした琉球を代表する八社で、他の七社と違い熊野系ではなく八幡さんを祀る八幡宮だ。もちろん背後のツインビルは御神体ではない。