地元の識名宮

ようやくたどり着いた識名宮は、社務所はあったものの誰もいない。でも、僕らがお詣りをしていた小一時間の間に、参道を横切って境内を通り抜けたり。さっと本殿に手を合わせて立ち去ったりと、閑かながらも人気が絶えない境内。訪れた日に限った事かも知れないけれど、その地にあって、その地の氏神さんとして、その地域に愛されている、守られている、護ってもらえている神様のような気がしました。

地元に大切にされる神様を感じて、少し羨ましくお詣りをすませました。

沖縄料理店の予約が繋がらない

ずいぶん前の思い出だけど、住吉の沖縄料理店に5名で予約を入れた事がある。呑まない妻の運転する車で、調べておいた店の向かいの駐車場に停めようとした時に気づく違和感。あれ?あの角の店じゃなかった?妻も車を止める。助手席から飛び出した僕がお店に駆け寄ると、ドアに貼り紙もなく店内は真っ暗。ドアに書かれた定休日ではない。数日前には予約確認もしている。 

結論的には、夜逃げのような突然の閉店だったんだけど、店の表に沖縄好きの5人が途方に暮れた。

それから、10年以上も経ち、同じような事が起きる。先月見つけた沖縄料理のお店が気に入ったので、同じ仲間と予約の電話を入れたのに繋がらない。何度かけても繋がらない。もちろん定休日でもなく繋がらない。仕方なく、駅までの帰り道を、かなり遠回りをして立ち寄ってみたら、今度は貼り紙があった。

家事用事のため、しばらくの間休みます。 

あの時の記憶がフラッシュバックしたけれど、今度は貼り紙がある。大丈夫、大丈夫。それからの帰り道、日課のように電話をかけている。まだ、応答はない。

暮らしの中の沖宮

那覇市で暮らす学生なら一度は訪れるという奥武山公園に生活の一部のようにある沖宮。熊野権現も祀られているけれど天照大神が主神のようです。戦火にも見舞われ何度か遷宮を繰り返し、現在の場所に鎮座してから50年以上も経ちますが神社にしては新しく感じます。

立地のせいかも知れませんが、暮らしの中の神社って感覚になりました。お宮参りだ、七五三だ、初詣だ、地鎮祭だなんて、いつも来る公園の中に存在を示すものだから、お詣りだってなった時に最初に思いつきそうです。

ちなみに「おうのやま」「おきのぐう」と読みます。長く間違ってました、スミマセン。

遙かなるルーツ

親父の叔母さんと言うから、僕らからすれば少し遠い関係の親戚になるけれど、その時代からすれば沖縄の女性が東京の大学に進むと言う才媛だった。直殺、お会いした事もあるらしいけれど、全く記憶に留めていない。もちろん、随分と前に故人だ。

その遠い叔母さんの残した家系図の写しが手元に来た。僕らの名前が最下部に記載されている。二代や三代どころじゃないけど、よく見ると長男だけの系譜とも見える。

いずれにせよ、僕らの遙かなるルーツがそこにはあって、最上部には古代の王の名があった。荒唐無稽かもしれないけど、いつか掘り起こしてみたいな。

基地の向こうに普天間宮

辺野古移転が叫ばれる世界一危険な米軍基地のそばにある普天間宮。何故だか八社の中で一番緊張します。ピリリとした境内と更にピリリとする洞穴内もお詣りします。

実は、僕の最初の御朱印帳は普天間宮のものです。神社らしいお名前の方と何度かメールでやりとりを繰り返し、送っていただきました。実はお詣りした時にはまだ、御朱印帳を持っていなかったのですが、普天間宮のものが欲しいとメールでやりとりをする中、参拝日付のない御朱印のある御朱印帳を入手できました。

思い入れのある神社が最初の頁に書き込まれた事に喜び至極です。

轟音に神様も緊張しているのでしょうか、ピリリとした空気に畏敬の念を抱く普天間宮です。

中崎町の島プリンとピザ

偶然に妻が見つけた島プリンの小さかお店。沖縄好きアルアルですが島◯◯とあると気になってしょうがない。関ジャニが誉めたって事で有名になったらしいですが、確かに美味しいプリンです。特に、お店で食べると四角い形で出されたものをパクリ。芳醇な味わいに押し寄せては潔い甘さ。一緒に注文するコーヒーとの相性もバッチリ。

一気に食べてしまわないように、注意しながら口運んでも、会話が進まないうちになくなってしまいます。

奥さんのお土産って、顔を出した近所のピザ屋のマスターと、島プリンピザ!なんて話で盛り上がってました。もし、商品化されたなら、居合わせたものとして食べに行かねば!