満員電車が基準になりそうな感覚が怖い

河原でバーベキューを楽しむ。
対策されたコンサートに行く。
人気のスイーツを食べに行く。

何処もそれなりの人手がある。
デルタ株の猛威も分かってる。
これまでの波と桁違いな猛威。

恒例の大宴会は中止になった。
何度も要請された宣言を遵守。
あと少し、もう少しで2年間。

つい、
割と人が多いけど満員電車ほどじゃない。
毎朝、人混みをかき分けて通勤している。
会社員、学生、みんなマスクをして乗車。

いつの間にか、朝の満員電車が動く基準になっているようで怖い。でも、事実、通勤する毎日。

河原のバーベキューにコッソリ来てみたら

隣り合うテントがふれるほど立ち並ぶ。
ダメだこりゃ!
と、考えつつも、せっかく来たのだからとなるべく広いスペースの確保を願って、川からも駐車場からも歩く事を覚悟してソーシャルディスタンスの保たれたスペースにコンロを設置した。

嗚呼、気持ちいい。
肉よりも、食後のコーヒーに昔のキャンプ好きの頃を思い出す。

しかし、若者の嬌声。
酒飲むオッサン。
芋の子洗う川遊び。

なんかスミマセン。でも、夏休みを奪われた孫が不憫なんです。孫らを遊びに連れて行けない息子も可哀想で。周りとの距離感を守って遊んでます。でも、なんかスミマセン。

意外な人が怒ると本気さが伝わる

感染症対策分科会の尾身会長が怒っていた。
首相の隣で政府側の代弁者に映っていた尾身会長が、真摯にコロナに対峙していると感じで久しい。
淡々とした口調ながら、日々、コロナの鎮静化をあらゆる世代に訴える姿に、医療機関の逼迫している状況が透けて見える。

パラリンピックに訪れたバッハ会長を痛烈に批判する姿は「現状を知れ!」と、政府に物言う姿に見えた。

嗚呼、怖いのに。
仕事をするために出勤する明日がくる。
大人しく従う僕らも、たまには怒ってみようか。

入院すら許されない状況に

医師が必死で患者の受け入れ先を探している番組を見た。命の選択が行われている現場の声は悲痛だ。重傷の患者を優先する病院が重症の患者の受け入れが出来ないと言う。
助かる命を優先すると言う、コロナは恐ろしい。

もし、罹患しても入院できない。

このニュースを見ても、要請に従わないで片寄せあってる、酒タバコの店は盛況なのかな。

モノを作る人が街を支えてる

町工場の立ち並ぶ通りを7時に駆け抜けて駅へと向かう。
月曜の朝の気だるさを感じながら自転車をこいでいると、いくつかの工場の音に気づいた。

働き人の出揃っていない早朝だけど、一画だけ蛍光灯の光と旋盤の高い音。別の工場はトラックの動く音、人の声は聞こえない。
今、閉まっている工場も僕が会社に着く頃には大半がモノづくりの音を響かせているんだろう。
モノを売る人が街を動かし、モノを作る人が街を支えてるんだろうな。

ふん。

気だるいなんて、言っていたら、工場の親父に叱られそうだと、少し力を入れてペダルをこぐ。

眼鏡とマスクと非接触

ああ、昨日は会社の別の部署から一人出たって言っていたな。
彼は2000人超の一翼を担ってしまったか。
最初の一人になりたくないなんて、思っていた頃は対策を徹底しても、通勤が怖かったなぁ。
今は、対策も鈍り恐怖心も薄れているのかな?
ワクチン後にも安心できないデルタ株が猛威を奮ってる。
せめて、眼鏡とマスクと非接触を気にしよう。

あ、電車が来た。