RBCのニュースで、辺野古移設が決定されてから四半世紀が経ったとの記事を見た。住民投票の勝利、知事の容認、反対市長の誕生、知事の後押し、少しの喜びと絶望の繰り返しだと地元の命を守る会の人が訴えます。普天間の痛みを同じ沖縄県内で肩代わりさせる政府の方針。
命を守る会の西川さんの言葉が印象的。
「(結局)『基地は造られる』と思うのが半分と『できない』のが半分と考えている。」
「自然を侮るとしっぺ返しがくる」
政府の決定事項が四半世紀遅れている事もなんらかのチカラで『できていない』のかもしれない。
『できなくなる』ために、何にすがり、何を大切にすればいいのでしょう?