僕の机でお支払い

新聞の請求はがきにPAYで支払い可能と書いてあったから、テレビを見ながら、サイトを起動させた。残高は足りている。

ポチッとした。

表示された残高が減っている。
妻が仕事中の僕に渡した水道料金のハガキにも、同じようなバーコードが書いてある。
スマホに表示された残高が足りない。

チャージするためにポチッとした。

あらためてハガキを読み込むと支払う金額が表示された。
ポチッとした。

僕の机でお支払いが完結する手軽さと、銀行残高が減った実感のなさ。

銀河鉄道の父を観た

今時のテレビに多い、早い展開ではないだけに、映画館ならではの名作だ。ジワリと進む展開は、実在の人物だけに知る行く末を、忘れるかのようなドキドキをつれてくる。

未完成や未成熟を否定する事なく、身に覚えのある過ぎたる愛が微笑ましくて、もどかしい。愛ある家族の死には哀しみの涙が止まらない。

頑張ると、どこかしら痛い

南森町で用事を済ませた後、天満橋まで歩いた。天満橋の用事が終わったので、谷四まで歩いた。近くまで来たのだからと、谷六の知人を訪ねようと思い、ついでに歩いた。知人に会えなかったが、空堀商店街で美味いうどんを食べた。谷八の用を思い出して、ついでだからと歩いた。いつしか最寄駅が谷九だと気付き歩いた。四天王寺前のタコ焼きが食べたくなったけど、足の裏が痛くて止めた。

そういえば、うどん屋を出てから痛み出していた。もう少し、頑張れるかと思っていたのにダメだった。

家に帰ると、足全体が痛い。うたた寝したら首も痛い。この頃、頑張ると、どこかしら痛い。これが高齢ってやつか。否、運動不足ってやつか。

ミニバンですら見下ろしてしまう

うちの車が修理中なので、兄に車を借りた。
型は古いが、グレードの高いボクシーだ。久々のミニバンで運転に多少気を遣うが、5分も運転すれば、セレナに20年も乗っていたのだから慣れる。
ほんの少しアクセルを踏むだけで、排気量の違いを感じさせてくれるし、何より視界が違う。ノートやシエンタに比べると、随分と目線が高くて、ほとんどの車を見下ろす感じになる。

黄色いプレートをつけた軽自動車が狭い車間を縫って、僕の車に近付いてくるのがバックミラー越に確認できた。左車線に移り、一気に僕の車を抜いて行くが、先が詰まっていたので、僕の前に割り込んできた。

「小ちゃい車のくせに危ないな!」

自分の感情に驚いた。
いつの間にか軽自動車を見下(くだ)していた。
運転席が高い位置にあるので、見下(お)ろして見えただけなのに。
煽り運転をする車は高級車が多いと聞くが、『こういうことか』と納得してしまう。

先週、南港の駐車場で割り込まれたのは、車高の高い外車だったか。
車種で”偉くなった”と勘違いする奴を馬鹿だと思っているのに、「小ちゃい車のくせに」なんて思ったオレも、結構、阿呆だ。

図書館のCDレンタルに思うこと

近所の図書館によく行っている
Aのプライムが僕にとっては改悪だったので、気に入る新しい歌を探すことができなくなってしまった。ところが、近所の図書館には懐かしいCDがある
浜崎あゆみ
aiko
ジョンレノン
さだまさし
サザン
世良公則  etc・・
大好きでなければ、なかなかレコードやCDを買えなかった世代にすれば、”割と気に入った”くらいの曲を聴けるのは「かなり良い」
英語嫌いで洋楽嫌いになってしまった僕がジョンレノンにハマった
40年遅れのブームだ
aikoも気に入った
これも20年は遅れてるのか?
サザンは歌詞が聞き取れなくて嫌だった筈なのに、名曲揃いだ

50年前にビートルズを好きになれば、英語も嫌いにならなかったかも知れない
その頃から好きだった、さだまさしも聞けるのが良い
おかげで国語は大好きだった
東風・・「こち」って読むんだぁ、なんて。