木曜漫遊

今日は久々に予定がないわ。
妻が言うから、開業準備の勉強もお休みして出かけよう。
京都?奈良?神戸?和歌山?
平等院?薬師寺?中華街?海鮮丼?
平日に遊びに行ける定年退職組。
いつまでも無職でいれるほど、退職金は貰っていない。

柿千で昼の膳をたべて、昼間から岩盤浴に行く、グウタラパターンを選択。
平日に遊びに行くコースとしては十分漫遊。

そして、人の多さに驚く木曜日。
あれ?みなさん定年って歳じゃないよね?

キッチンマットは案外おもい

システムキッチンの床に敷いているキッチンマット。踏み心地と言うか、台所仕事の疲れを軽減してくれるような弾力が足裏から伝わってきて重宝している。
汚れも目立ってきたので洗う事にした。
妻が。

ところが、意外に重い。適度な弾力のために肉厚もあって、布製のマットのように片手で持てるような代物ではない。僕でも、そうなんだから、妻はなおさらだ。
頑張って洗ったマットが外に干してあった。
気を利かせて運ぼうとしたら、掴んだ親指に水が滲む。なんて乾きにくいんだ。
結局、一晩干して、翌日、僕が乾いても、なお重いマットを玄関に放り込んでおいた。

程なく、車内で妻からのメールを見る。
敷いた後、床を濡らすマットの写真付き。
ひと晩では乾かなかったのか!

優しさが必ずしも、相手を楽にする訳ではないと言うお話でした。

幸せな晩餐

久しぶりにアメ横を妻と歩く。
この近くのお店を子供らが予約してくれた。
妻の還暦祝いをしてくれるらしい。
二人で少しおめかしして歩く。
若者の嬌声も背伸びの化粧も微笑ましいと感じるのは、気持ちの余裕。

待ち合わせの時刻は、もう少し。
はやる気持ちを隠して登場する。

なんか嬉しいね。

妹の誕生日

僕の妹の誕生日だ。
おめでとうメールをしたけど、スタンプでは「ありがとう」って、笑っているけど、いつもならアル台詞が続いていない。

年齢まで、しっかり書かない方が良かったのかも知れない。

義父が逝った日

一週間前に義父がこの世を去った。

5月に尿路感染による発熱でひと月ほど入院してから、瞬く間に身体は衰退した。
元々、スポーツマンで90歳を迎えても自転車に乗れた身体は自力で歩けないほど弱ってしまった。
車椅子に乗ってからは、色々なものに対する意欲を失ったようで、自分から発言する事が目立って少なくなった。だんだんと食欲も無くし、筋肉質だった足も痩せ細り、ベットに横たわる時間が増えてきた。

そんな時に、施設で発生したクラスターに巻き込まれて、さらに半月の入院を余儀なくされてからは自力で身体を起こす事も、食事を摂取する事すら出来なくなってしまった。
陰性となり施設に戻ったけれど、生命力が一気に失われたのは誰の目にも明らかだった。

数日のうちに父は逝った。
救いは、少しも苦しむ事なく、安らかな最期だった事だ。遠方に居る義兄も間に合った、孫もひ孫も間に合った、親しい親戚も間に合った。人の望みは叶うんだ、望めば叶うんだと感じてしまった。計りようもない程、徳を積んだ義父だからなのか。

お通夜、お葬式、初七日。淡々と済ませていく。父は解放された。
もう身体は痛まない。
また、歩ける、走れる。
父は、もう自由だ。

自宅療養で分かった事

僕は引き篭もれる体質だったんだ。

Amazon primeでアニメを数十話分見た。奈良を中心とした仏像の世界は見入ってしまった。石原さとみに今更ながら惚れた。

どうぶつの森でFF7を目指した街づくりをした。迷路と迷宮の世界観は再現出来ない。

時々、仕事に活かせる記事や書籍にも目を通したけれど、体調が悪くなりそうで5分ともたない。

疲れたら寝た。

思い出した。20年前に命懸けの手術をした時も、何も無い病室で退屈しなかった。
いや、何もなくは無い、差し入れの小説に漫画、エロ本、BEGIN、三線、工工四。
動き回って、手術跡から血が噴き出したっけ。懐かしい。

ブログを書き動画を編集し、布団の中心で愛を叫ぶ日も今日で終わりかな。
指示された行動制限は今日まで。