50年前を辿ってみた

国道の拡張工事に伴って越したのが50年前。当然、国道は大きく街並みは一新されている。
そんな、生家のあたりを自転車で走ってみた。
いつも通っていた通学路は驚くほど狭かった。
通っていた保育園もウチの倉庫も見たあらない。
いや、場所すらハッキリしない。
隣の同級生の家もなく、少し離れた同級生の家もない。
50年以上もあるであろう、お屋敷には見覚えがなく、友達も庶民だってのかぁと、納得してしまう。消えかかる記憶を頼りに、小学校にたどり着いたものの、サクラ色の校舎は鮮やかで、給食棟は見当たらない。
妹の七五三を祝った神社が小学校の隣だったことに唖然とする。
誰も知る人のいない故郷って、こんな感じなのか?それでも懐かしさは漂う。時折見つける記憶の断片すら、思い出と呼べる。
ドブ川と思っていた運河は、異臭もなく流れている。
いいにつけ、悪いにつけ、これが50年だ。
歩いてみて、良かった。
いま、懐かしく思える程、健康だ。
しかし、こんな横道で、よく野球なんてやっていたのだと思う。嗚呼なるほど。
ウチの兄貴たちのミートの上手さは、隣のガラスを割らない技術から生まれたのかと、納得する。
やはり、心も健康だ。
仲のいい家族も覚えている。

勝尾寺に行ってきた。

ご本尊がどなたかも調べずに箕面のお寺をお参りした。桜に惹かれたとは言え、突然、行くような流れになったのは、呼ばれたのかも?なんて、都合の良い事を考えていた。
拝観料を納め、境内に入ると、思っていたよりも広い視界と山裾に点在する御堂らしきものと、水煙舞う橋と、まだ咲き誇るサクラ。
山門をくぐると、水煙の正体は橋の下に設置された噴水と分かる。参拝者を浄めているのだろうと何となく感じる。
不思議な感動を覚え、たもとのベンチに座り水煙を眺めていると、風向きのせいか、霧が座る僕の方へ流れてきたかと思えば、水煙に呑まれてしまった。よほど浄められているのか、迎えられているのか、毛穴から霧が入り込むような感覚に襲われる。
友人に声をかけられて、我に帰り橋を渡り、先に広がる山の胎内に進んでいく。

もう、遊び方や飲み方に慣れようよ。

2週間連続で前の週を上回る新規感染者が確認されたって言う。感染経路のわからない市中感染がほとんどだと思うけれど。
孫と野球中継を見ていた、わじわじしてモヤモヤの残る試合だったけど、途中で孫が呟く。
「あ、あの人マスクしてへん、こっちは、何か食べてるみたいやから、イイか。」
ドキドキ。
飲んで、マスク外して、飲み続けて、外し続けるのか。
大川沿いも、花の陽気に誘われて、屋外テラスは満席やったなぁ、でも、大人な飲み方の人が多くて、静かなもんやった。

もう、コロナ禍の飲み方も覚えたよね。
大声出さない、マスクをしながら話す。

孫と甲子園に行くまで、クラスター出さんといてなぁー

インプラント手術

下顎の骨をグリグリ削るの。
嗚呼、骨伝導ってこう言う事かぁ。
麻酔が効いて痛みはないけど、削る音が骨を通して伝わってくる。
「奥の親知らずも抜きますね」
抜くの?
メチメチって剥がれる音がする。

痛み止め(薬) 前の4倍くらいあるんですけど、「痛くなった時だけ、飲んでくださいね」
この量くれるって。
痛くなるんですね。。。。

無差別殺人

ウクライナの首都キーウ郊外で民間人と見られる遺体が散乱していたとニュースが伝える。
よく言われる事だが、5人殺めれば殺人鬼と呼ばれ、500人殺せば英雄と呼ばれると、戦争を揶揄した表現だと思う。
ロシアに英雄はいたのか。

4月は春だ

大川の桜がいっせいに一斉に咲き誇った。
花冷えのする遊歩道にも人があふれる。
屋形船はさっそく花見客を乗せに来たのだろうか?桜に魅せられて人が動き出す。
実は、一向に収束しないコロナの気配も感じているけれど、もう我慢疲れだ。

今日から4月。
もう一度マフラーを取り出したけど、春だ。
どんどん暖かくなる春が来た。