出石にて

出石そばの名店「近又」に行ってきた。
噂通りの美味いそばだと思うけれど、実は食べ比べでもしない限り、そばの味がわかる訳ではない。香りが立つとか言うけれど、そんなに匂いに敏感な訳でもない。
が、美味しかった。
何より食べすぎた。
何でも20皿食べると木札をくれるらしいが、とても食べきれるものではないと、妻と5皿づつ食べ始めた。一人前850円だっけか?

あら?ペロリと平らげる。
そうだ、早くに朝食を食べたのに、外湯や海中公園、出石神社を回っているうちに14:30に!
意識はしてなかったものの、お腹が減っていたのかも知れない、それは妻も同じだ。
追加で二人前注文すると、10皿がテーブルに運ばれる。ネギとワサビも付いてくる。
追加で、もう二人前注文すると、また、塩だけでそばを食べたくなった。
ふと気付くと17枚の皿が積まれている。あと3枚で木札じゃないか!
もう一人前頼み、20皿を達成した時に妻を見ると首を傾げている。

どした?
今、15皿あるわーなんか、いけそうな気がする。

おいおい、ここへ来て二人前追加。
気付けば、妻も20皿完食し、僕は25皿を完食。
見上げれば、男性は30皿を食べると、店内に名札を掲げるらしく、悩んでいると、店員さんが言う。

苦しんで食べやんと、無理せず美味しく食べてくださいね。

妙に納得して、25皿で打ち止めると、二人に木札と妻に名札を!女性は20皿で達成らしい。
何か悔しくて、あと一人前を追加しようかと思ったけど、そば湯まで飲んで、もう終了モードに、胃はなってしまった。あと5皿食べたら、安全に運転できなくなるかも知れない。
断念し残念。

すべての滞在時間が、蕎麦屋で費やされた出石になってしまった。

城崎にて

宿の前を電車が走る。時に華やかな特急電車に慌ててシャッターを切ろうとするけれど、デジタルは起動までに時間がかかる。
外湯まで送ってもらって、大渓川のほとりを浴衣でカランコロンと歩く。
風情という言葉を殊更に意識しながら、丹前から出した腕を前で組む。
カランコロン、カランコロンと慣れない下駄でバランスを崩しかけても風情を優先する。
御所の湯は開放感のある大浴場で温まる。
すると、昔よく見た風景が眼前に映る。
昔の銭湯でよく見た、けど見てないふりをした。
背一面の観音様の刺青。
タトゥーなんかじゃない、モノホンの入れ墨。
ああ、都会のスーパーな銭湯は入浴を許してくれないからね。風呂好きの紋紋さんにすれば老舗の温泉街は貴重なのかも知れない。
風情の一環だと、変に納得する。

アドベンチャーワールドに行ってみたら驚いた

白浜アドベンチャーワールドには、息子が小学生に上がる前に行った記憶があったけど、その息子がパンダ好きの孫と行かないかと、誘ってくれた。パンダに興味は無いけど、パンダを見て瞳を輝かせる孫に興味が湧きまくる。
動物園で見たパンダは、スルメをしゃぶるオヤジにしか見えなかったけれど、白浜のパンダは屋外を歩く、木に登る、転がる、後ろ足で耳元を掻く、熊猫とはよく言ったものだ。
孫が話す。
「中国を除いたら、ココが一番多いねん」
一頭のパンダが巨大を上手く使いながら木に登って遊んでいる。
「彩浜は木登りが、得意やねん」
眼をキラキラさせた孫が解説してくれるけれど、虎のようなスムーズさは無くて、巨体で木をしっかり捕まえてる感じは、得意と言うより危なっかしくて、仄かにある母性を刺激し続ける。
あ、危ない!
なんて、見ていると、いつまでも動こうとしない僕と孫を妻や息子夫婦に手を引かれる。
楓浜にも目を奪われた。
あれ?意外に可愛いやん。
スルメオヤジもいたけれど、一度可愛く見えてしまうと、おしゃぶりベイビーくらいには、映ってしまう。
こんなアドベンチャーワールドは知らなかった。
パンダを見て目尻が下がり、孫を見て頬が緩む。
気づけば、土産物屋で財布が緩んでいた。

春盛り桜の通り抜けは素晴らしい

齢90を超える母を連れて、造幣局の桜の通り抜けに行ってきた。巷に咲き誇っていたソメイヨシノが葉桜に変わる4月の半に毎年催されている、大阪の風物詩だ。
例年と違い、事前予約制となっているためか、沿道の桜を愛でる余裕がある。
平野撫子、関山、蘭蘭、覚えきれない品種の桜が沿道に立ち並び、満開の花を魅せる。
思い想いに写真を撮るスペースがあるのが嬉しい。商店街を行くが如くになって以来、遠のいていた通り抜けが愛おしくなってくる。
須磨浦ナントカって、淡い緑に濃い桜色の瞳を持つ華やかでない美しさに立ちすくめたのも嬉しい。母の車椅子を押しながら、数十年前の思い出を語りながら歩く。
きっと、当たり前ではないだろう手間と費用をかけてくれる造幣局に感謝する。
足の悪い母のために、迎えの車が正門に着くまで、車椅子を融通してくれた、警備員さんの対応にも花の心地よさを感じた。

勝尾寺に行ってきた2

橋を渡った先に不思議な分岐を見つける。
知恵の輪
少し離れた所から、目にしていた看板から、小さな迷路かな?と、思ったが、見当違いも甚しかった。右回りに7周、左回りに7周して戻ると言うシンプルなストーンサークル。
左の階段を進み、不動尊をお参りすると、本堂へ続く階段に夥しい数のダルマを見る。
そういえば、此処へくるまでにも、境内の至る所に小さなダルマが置かれていた。中には置かれているというより、石垣や木の根に挟んでいるものもある。

ダルマ棚を見て思い至る、寺の名前にちなんで勝ち運を祈願する習わしか!大きなダルマを見ると、勝負の大きさと祈願の強さが伺える。
ご本尊は、十一面千手観音菩薩で行き渡る目と救う掌を持つ慈悲の菩薩様だから、ご本尊と言うより、寺の名前で勝ち運祈願のお寺になったのだろう。元は勝王寺と言ったそうだから、かなり勇ましい。改名しなかったら、信長に焼かれていたかも知れないと、勝手に思う。

最古の荒神様や大師堂を経て、本堂に至る道を行く。
荒神様だけでなく、弁財天も境内に祀られていると言うから、本当の信仰って、神仏を分離するもので無いのかもと、いつもながらに思い至ってしまう。

日々の暮らしの中では、些細な事、大層なこと、気を煩わせるけれど、橋を渡って以来、鎮まっていくのがわかる。

勝尾寺に行ってきた。

ご本尊がどなたかも調べずに箕面のお寺をお参りした。桜に惹かれたとは言え、突然、行くような流れになったのは、呼ばれたのかも?なんて、都合の良い事を考えていた。
拝観料を納め、境内に入ると、思っていたよりも広い視界と山裾に点在する御堂らしきものと、水煙舞う橋と、まだ咲き誇るサクラ。
山門をくぐると、水煙の正体は橋の下に設置された噴水と分かる。参拝者を浄めているのだろうと何となく感じる。
不思議な感動を覚え、たもとのベンチに座り水煙を眺めていると、風向きのせいか、霧が座る僕の方へ流れてきたかと思えば、水煙に呑まれてしまった。よほど浄められているのか、迎えられているのか、毛穴から霧が入り込むような感覚に襲われる。
友人に声をかけられて、我に帰り橋を渡り、先に広がる山の胎内に進んでいく。