フィッシング詐欺だって

昨日のテレビで生駒里奈さんがフィッシング詐欺被害を教えてくれた。
クレジットカード情報が盗まれ、短期間に10万円を超える買い物をされたらしい。
思い当たるのは、数日前に来た偽Amazonメールだとか。
誘い文句は、クレジットカード情報の不調。
改めて、情報の再入力画面に誘導されカード情報を入力してしまうと、アウト!
相手も即座に発覚するのを避けてか、何100万もする買い物はしなかったようだ。
怖い。
キャッシュレスの時代に慣れようと、クレジットカードや電子マネーを使い出しているが、少しの油断で騙されてしまいそうだ。
ハッとした!最近、カード情報を入力したぞ!
…… ……
Λ ああ、大丈夫だ。僕から変更したんだ。
こんな事で、心配になるなんて嫌だな。

減らない日常

もう、緊急事態宣言は出ないような気がする。世は情報社会だから、欧米の取組みは政府広報より巷に広がって、マスクを外して経済と併立させる流れが押し寄せてくる。
日本では、新規感染者数が過去最多となる県が出ているにもかかわらず、今のところ重点措置が施される事もない。
我慢の期間が長すぎて、営業自粛要請は店側も客側も限界だ。
海外から来た人が、未だ厳しい制限に驚いたとの声も聞くけど、お国事情が異なる。
PCR検査を複数回受けた人がどれだけいるだろう?
平常時に一回でも受けた人がどれだけいるだろう?
10分余りで結果のわかる抗原検査を入店の基準にすれば、数十人の宴会も可能じゃなかろうか?
新規感染者が減らないから、日常を変化させて、飲み歩きたい。
大宴会してカラオケ大会も、全員が陰性証明持っていたら可能では?

怖かったけど、無料検査を受けてみよう。

春盛り桜の通り抜けは素晴らしい

齢90を超える母を連れて、造幣局の桜の通り抜けに行ってきた。巷に咲き誇っていたソメイヨシノが葉桜に変わる4月の半に毎年催されている、大阪の風物詩だ。
例年と違い、事前予約制となっているためか、沿道の桜を愛でる余裕がある。
平野撫子、関山、蘭蘭、覚えきれない品種の桜が沿道に立ち並び、満開の花を魅せる。
思い想いに写真を撮るスペースがあるのが嬉しい。商店街を行くが如くになって以来、遠のいていた通り抜けが愛おしくなってくる。
須磨浦ナントカって、淡い緑に濃い桜色の瞳を持つ華やかでない美しさに立ちすくめたのも嬉しい。母の車椅子を押しながら、数十年前の思い出を語りながら歩く。
きっと、当たり前ではないだろう手間と費用をかけてくれる造幣局に感謝する。
足の悪い母のために、迎えの車が正門に着くまで、車椅子を融通してくれた、警備員さんの対応にも花の心地よさを感じた。

最高気温16°!昨日は27°だったよね

暑さのあまり、袖を捲ったのは昨日。クーラー入れてくれとぼやいてから、18時間経過すると春先に戻っていた。
しまいかけたベストを着込む、マフラーはしづらい、しまった!見えないのだからパッチを履くべきだった。
心なしか車内の人も薄着が多い。そりゃそうよ、いちど、初夏を過ぎる暑さだったもの。
首元を露わにした服装だと、風邪をひきそう。
僕はと言えば、寒暖差に弱いから、シャツのボタンで首周りを守る。
いやいや、もう暖かくなろうよ。
日替わりで季節が変わるのは、しんどいです。

勝尾寺に行ってきた2

橋を渡った先に不思議な分岐を見つける。
知恵の輪
少し離れた所から、目にしていた看板から、小さな迷路かな?と、思ったが、見当違いも甚しかった。右回りに7周、左回りに7周して戻ると言うシンプルなストーンサークル。
左の階段を進み、不動尊をお参りすると、本堂へ続く階段に夥しい数のダルマを見る。
そういえば、此処へくるまでにも、境内の至る所に小さなダルマが置かれていた。中には置かれているというより、石垣や木の根に挟んでいるものもある。

ダルマ棚を見て思い至る、寺の名前にちなんで勝ち運を祈願する習わしか!大きなダルマを見ると、勝負の大きさと祈願の強さが伺える。
ご本尊は、十一面千手観音菩薩で行き渡る目と救う掌を持つ慈悲の菩薩様だから、ご本尊と言うより、寺の名前で勝ち運祈願のお寺になったのだろう。元は勝王寺と言ったそうだから、かなり勇ましい。改名しなかったら、信長に焼かれていたかも知れないと、勝手に思う。

最古の荒神様や大師堂を経て、本堂に至る道を行く。
荒神様だけでなく、弁財天も境内に祀られていると言うから、本当の信仰って、神仏を分離するもので無いのかもと、いつもながらに思い至ってしまう。

日々の暮らしの中では、些細な事、大層なこと、気を煩わせるけれど、橋を渡って以来、鎮まっていくのがわかる。

50年前を辿ってみた

国道の拡張工事に伴って越したのが50年前。当然、国道は大きく街並みは一新されている。
そんな、生家のあたりを自転車で走ってみた。
いつも通っていた通学路は驚くほど狭かった。
通っていた保育園もウチの倉庫も見たあらない。
いや、場所すらハッキリしない。
隣の同級生の家もなく、少し離れた同級生の家もない。
50年以上もあるであろう、お屋敷には見覚えがなく、友達も庶民だってのかぁと、納得してしまう。消えかかる記憶を頼りに、小学校にたどり着いたものの、サクラ色の校舎は鮮やかで、給食棟は見当たらない。
妹の七五三を祝った神社が小学校の隣だったことに唖然とする。
誰も知る人のいない故郷って、こんな感じなのか?それでも懐かしさは漂う。時折見つける記憶の断片すら、思い出と呼べる。
ドブ川と思っていた運河は、異臭もなく流れている。
いいにつけ、悪いにつけ、これが50年だ。
歩いてみて、良かった。
いま、懐かしく思える程、健康だ。
しかし、こんな横道で、よく野球なんてやっていたのだと思う。嗚呼なるほど。
ウチの兄貴たちのミートの上手さは、隣のガラスを割らない技術から生まれたのかと、納得する。
やはり、心も健康だ。
仲のいい家族も覚えている。