普段なら、たかが風邪と笑えるのに

昨日は喉の痛みだった。熱は36.0。痰が絡み、キバナが出る。痰のせいで寝苦しく夜中に何度も目が覚める。カタカナ3文字が頭をよぎり、症状に違いはあるものの7℃を超えてこないか何度も検温する。

鼻が詰まるので、ティッシュとゴミ箱を枕元に完備しておく。
味覚嗅覚に異常はない。喉の痛みと鼻水が症状の全てだ。原因?
思い当たる。湯冷めだ。
汗をかいて重くなったシャツのまま食事をした時に、体が冷えた。その後も、着替えなかったから寒くなって、もう一度、湯に浸かった。

普段なら、風邪と笑えるのに、満員電車で咳を堪えて、鼻水を止めているのは、なかなかしんどい。のど飴をなめ、マスクの中の鼻水を拭き、猛省する。普段なら、風邪と笑えるのに。

シーミーの日に起こった事

昨日から、二十四節気の清明の期間に入りました。清らかで明るいこの時期は中国圏の文化を持つ沖縄では清明祭=シーミーとしてお墓参りをして、墓前で宴会を始めると言います。シーミーは2週に渡り神様とご先祖のそれぞれに祈りを捧げるとありましたが、家族の寄り合う都合もあり、ウチでは、清明入りから最初の日曜日に神棚と仏壇にお供えをします。

今年はオンラインも駆使して家族が集まり、沖縄の話や親戚の話をしていたその夜。
連絡先を告げずに留守電に連絡を乞うていた遠縁の方や、年末から急に連絡が入るようになった従姉妹から電話が来たりとシーミーの妙に驚きました。

神に祈り、ご先祖を供養する日に起こる不思議な縁に、何かが始まる予感しかしません。

単なる偶然だと、気楽に過ごせますけどね。

那覇では28度と言われた朝に

今朝もカヤちゃんが全国の天気を知らせてくれる中、那覇では28度と夏を思わせる陽気を伝えてくれる。

その一方で、新規感染者数が100人を超え、全国的に拡大の傾向にある事を知らしめる。
まん防も発動されたが、東京に先駆けて大阪、兵庫、宮城とは恐ろしい。実際には知事が対象となる市域を指定するとかで、府内全域ではないというものの、今、乗車している地下鉄も乗り換える駅も降りる駅も対象地域だ。

沖縄の100人も怖いけど、大阪の600人はもっと怖い。何より、「新規感染者」という言葉が、昨年より軽く感じている事が怖い。一年以上も増え続ける日々を暮らして、死に直結する怖さに慣れてくるのが怖い。

まだ死にたくない。
人に感染したくない。

那覇は28度。
30度になる頃に沖縄を旅したい。

緩んでいたか?自問自答する

大阪の新規感染者数が東京よりも多い事に愕然とする。人口比で考えると東京の1000人に匹敵しないのか?昨年の宣言下ではガラガラだった地下鉄も今年は乗客が減ったという気がしない。ウチの在宅勤務も3週間に一度くらいだったので、混雑緩和に貢献したと言えない。初めての恐怖には強く立ち向かったけれど、長引く闘いは意識を環境に順応させてしまったようだ。

10日ほど前は、近畿が先行解除されたにもかかわらず、下がる新規感染者数を誇らしく思っていなかったか?下げ止まる東京をバカにしていなかったか?安い奢りが気を緩ませなかったかな。
いま、自問自答すると、怖いと言いながら、気が緩んでいたように思う。

10日余りのタイムラグが怖い。だから、キチンと怖がって10日後に安心したい。第四波はいらない。

午前6時の浴室で感じる季節

髪の毛を整えるために洗髪は朝にする習慣がついて30年以上になる。今朝も浴室に入り、週初めを感じていると、ふと、浴室の電気をつけていない事に気づいた。窓から入る日差しで、意外に明るかったから、点け忘れたんだけれど、髪の毛を洗う分には何の差し障りもなかった。
つい最近まで、黒い窓だったのに、いつのまにか薄青い窓に変わっていた。
春分を過ぎて、昼が夜より長くなる事に、今さら気付いた。
慌ただしく身支度を整えて家を出た頃には、すっかり朝の眩しさだ。
今年、迎える定年が、毎日のルーティンに季節を感じさせてくれたみたいだ。

心が狭いと思った事

20年前に病気してから、色々なものが一変した。性格はそのままでも、考え方は変わった。
向き進む事に全力で周りを見なかったから、何にも寛容だったように思う。

ところが
紗々が棚に二箱しか残ってないから、二箱とも買ってしまう。
部下を叱責する前にパワハラを意識してしまう。
育てて焼いた肉を取られた腹いせに、好きでもないウインナーをそいつの前からかっさらう。
意に反して褒めた部下の悪口を言わずにいられない。
意に反した指示を出す上司と談笑している。
2台分停めれるスペースの真ん中に自転車を置いて、後で置きにくる妻のスペースを確保する。

いざ書くとなると、思い出せないのは、狭い心を思い出したくないからか?知人に見られる事を知っている心の狭さか?