もう一度、沖縄旅行を計画してみた

沖縄旅行の計画を立ててみた
少し具体的な想像をしてみた。 定年を迎える今年、再雇用までにひと月あるインターバルを利用して、沖縄の神様に40年間の仕事を終えた報告に行きたいと思った。40年支えてくれた妻への感謝も込めて2人で1週間くらいのんびりしたい。

豪華なホテルはいらない、でも、良く知るホテルと初めてのホテルを利用してみたい。できれば2人合わせて20万円以内で。ん?安すぎるか?いや、身の丈にあった豪華旅行だ。

1日くらいは何処へも寄らず、ホテルライフを楽しみたい。離島に渡ったことがないので、石垣島とか行ってみたい。改めて琉球八社もお詣りし、首里城跡も見てみたい。ずいぶん変わったと聞いている斎場御嶽や勝連城にも足を運びたい。海中道路を渡って浜比嘉島に寄りたい。きちんと手順を踏んで久高島の神様をお詣りしたい。40代の半ばで失いかけた命を永らえさせてもらった僕の、やるべき事を考えながら名護を歩いてみたい。中崎町の島プリンのお母さんと古宇利島に行ったよなんて話もいいね。いつもサンエーで買い物するけど、TVで見たジミーズのフードコートにも寄りたい。TVと言えば、ブエノチキンも食べてみたい。

もう何度となく沖縄に行っていても、やりたい事は溢れてくる。沖縄の海を見ながら何もやらずに話し込むなんて、やってみたい。ブログは毎日更新しよう、その日の想いを書き連ねよう。無事に定年まで勤め上げた御礼と、支えてくれた家族への御礼、大病の際に子供たちを気遣ってくれた友人達へ御礼。色んな感謝を沖縄でなぞってみたい。

あの映像は忘れられない

あの映像は忘れられない
多忙を極めていた最中に入ったニュースで、地震と聞いたものの仕事の手が止まる程じゃなかった。ただ、刻一刻と届く情報が被害の大きさを物語る。

大きな津波が街を呑み込んでしまう様は阪神では経験していない。

チェルノブイリを彷彿させる原子力発電所の被災も阪神で経験していない。

波に攫われる家屋、クルマ、眼下の街がなくなっていく様を捉えた映像。そこに在った命と共に忘れられない。忘れていない事しか伝えられない。

今日は黙とうを捧げたい。

乗り遅れた時に考える事とは

いつもより早く行かなければならない時がある、今日がそうだ。と、言っても2本早い電車に乗るだけで、時間にすれば15分ほど。なのに、家を出る時にお腹が痛くなってトイレに行ってしまった。携帯を置き忘れて玄関に取りに戻ってしまった。少しずつのロスが電車の時刻に間に合わなくなり次の電車に乗る事になってしまった。

さて、乗り換えのターミナル駅までに調べておく事ができた。もう予定時刻に着く事は無理なのか?予定の電車の時刻は22分発だが、この電車の到着は15分。差は7分ある、7分は十分ではないが不可能な時間でもない。普段歩いて10分の乗り換えだから、走れば3分くらい縮まらないだろうか?乗り換えを考えて、いつもより先頭に近い車両に移動する。人混みを考えれば1分は短縮できたと思うぞ。

あと20年若ければ余裕だと思えるダッシュが、あと数分で始まる。

記憶を定着させる目的と手段

記憶を定着させるには睡眠が必要だと聞いた事がある。寝ている間に覚える睡眠学習と言う意味ではない。覚えたい事を勉強して、脳に記憶を定着させるのに睡眠が有効な手段であると言う話。

訓練すれば延びるらしいけれど、人が集中できるのも40分だが45分が限度らしい。勉強したばかりの記憶を長期間に渡り脳に留めるには、勉強の合間に睡眠を挟むのが効果的らしいけど、寝過ぎるのが怖いし、寝たら忘れてしまうような気がして受験勉強で活用するには勇気がいると思った。
優里の「ドライフラワー」を覚えたくて、YouTubeで何度も聞くけど、難しい。そこで眠る直前に聞いたり、ドライフラワーを1時間くらい流すチャンネルを見たりした。ここまですれば1日か2日で覚えられると思っていたのに、カラオケで歌える程には覚えられていない。
最近の歌は難しいなぁ
なんて、昭和の時代を懐かしむけれど、最近の歌は昭和の匂いがするようで、案外気に入った歌が多い。カラオケに行きにくい時勢だけれど、来る日のために色々と覚えて、「ええ!こんな歌、歌えるんですか」の驚きで、みんなの記憶に定着させてやろうと企んでいる。

日曜出勤にメリットも感じられるって

うちは、週休2日制で土日が休みだけれど、時折、日曜日にも出勤する事がある。今朝がそうなのだけれど、車内は、がら空きで乗客はソーシャルディスタンスを保ちながら座っている。平日の満員電車にコロナ感染を意識しながら乗るのとでは大違いだ。

朝の早い時刻の車内は、やはりスーツ姿が多くて、業種によって休日の曜日が変わる当たり前の事を認識してしまう。火曜日に天皇誕生日があるから6連勤にはならないし、木曜日のようなもんだ。

よしよし、何となく日曜出勤の面倒臭さが薄れてきたような気がする。

立ちっぱなしの仕事は数あるけれど

昼休み以外は一日中立ちっぱなし、なんて仕事は意外に多いような気もするけれど、普段はデスクワークが中心の還暦の身にはいささかこたえる。

混雑する会場の案内役と言えば、立て看板の代わり程度の認識もあったが、とんでもない楽観的な見通しだった。
人の流れが多くなると、ちょっと尋ねる来場者が現れる。一言で終わるような会話も案内人が20秒話すと後ろに人だかりを生んでしまう。
コロナ禍で抑えるはずの声を張り上げて誘導する、こんな事も起ころうかとマスクにフェイスシールドを兼用しているが、枯れるような体力を息苦しさが奪っていく。
それでも時間と共に呼吸は慣れてくるけれど、動き回り疲れは増すばかりだ。
なんやそのくらい。
妻がかつてアルバイトした、パン工場の製造ラインでは年配の女性がテキパキと立ち仕事を一日中こなしていたと言う。
でも、しんどいもんはシンドイねんと、叫びながら、今日も会場案内に向かう。