介護付老人ホームに入所しました

もろもろの手続きを終えて、妻の両親が施設に入所しました。隣り合う部屋の確保や最上階であったことなどから、年金だけでは賄えない費用もかかりますが、2人の貯金を足らず分に当てていけば数年は大丈夫です。

その後の事は、その時に考えようと思いますが、我々にも多少は蓄えがありますので何とかなるでしょう。

今は、二人の介護が一気に軽減される妻の介護ロスを心配してます。
あーしてほしい、こーして欲しい、あんな所があります、こんな所があります、あれは出来ますがこれは無理、等々。

介護職員にアレコレ言いたいのはわかるけど、任せた限りは口出しは程々にね。

彼女の頭の中の介護はまだ続いているようですが、滞っていた僕らの時間を取り戻していこうと、思います。

と、書いた翌日から、毎日鳴る妻の携帯電話。
この話は追々に、簡単には進みません。

今さら電車でGOを買ってもいいものか

ニンテンドー64で専用コントローラまで用意して遊んでいた電車でGO。なかなか上手くならなくてコンプリートには程遠かったけれど、カセットソフトの終わりとともにうちのゲーム機は64からキューブやプレステ2に代わってしまった。
もう一台専用コントローラを買えるほど、嫁の興味を惹けるゲームではない。ときどき無性にやりたくなるけど、ソフトもハードも既に見当たらない。

 

そんな僕に風が吹いた。
電車でGOプラグアンドプレイなるものを偶然目にしたんだ。PS4のソフトと思っていたら画像が古臭い。よく見ると、専用コントローラに以前のソフトを移植したものらしい。つまり、すでにPS2を持っていなくでも遊べる仕様になっている。昔のものだけあって、画像は古いが大阪環状線や特急まで揃っているのは、むしろ高ポイントだ。

 

電車の運転に興味のない嫁に有効な風は孫息子だ。僕に似て電車好きで2人でしまかぜやシンフォニー、はるか、プレミアムな特急に乗るのが楽しみだ。自動車に乗ると運転士の真似をして笑う。
嫁は孫の笑顔に滅法弱い。
買っても、孫に直ぐには知らせない。僕が操作に慣れて上手くなってからだ。息子はコレが苦手だった。父ちゃんに出来ないことを爺ちゃんがやる!
僕は孫の褒め言葉に滅法弱い。

感染症の拡がりと通勤電車

今日も電車は満員だ。

全国の感染者数で考えると見通しが甘くなるから、大阪の人口と感染者数で考えてみた。
通勤時間が往復で3時間として1分間に100人とすれ違うとしたら、通勤するだけで18,000人もの人と至近距離。
で、人口880万人の都市で、600人の新規感染者が出た日は、すれ違った人のうち1人は陽性反応が出たことになるの?と、考えた。通勤途中でなんて言えば感染経路は不明とされるでしょうね。
数字を並べただけで実際の環境や状況を考えていないから、正しいとは言えないのかも知れないけれど、毎朝すれ違う人の中に、新しく陽性となる人が居るんだと思えてきます。
大阪駅は、今日も人で溢れてます。

続 勝手の違う火曜の朝

雪で電車が遅れている。ホームは寒い。財布が無いのに気づいた、免許証も無い。

でも、皆んなが遅れるからお互い様だ。しかも席に座れた。今日は車を運転する予定がないし、財布ももう一つある。

でも、平穏に今日が終わるか、少し心配になってくる。もう少しで降りる駅に着く。いつも、思い出す言葉がある。

なりやまあやぐ。

勝手の違う火曜の朝だ

弁当の用意を妻が忘れた。玄関で寒さに負けて横のトイレに行った。外に出るとぼたん雪が降っていた。自転車置き場に自転車が無かった。あ!昨夜来てた知人に貸したんだ。駅に着くとイヤホンがないのに気づいた。いつもの電車に乗り遅れた。定期券を出そうとポケットに手を入れようとしたがポケットがない。ダウンベストを裏返しに着ていた。いつも立つドア横に先客がいる。

あ、思わぬ駅で先客が降りたので、ドア横ゲット。この寒さの中、駅まで車で送ってくれた妻に感謝。駅のホームでダウンベストを着直した。会社に着くまでに気付いて良かった。

トラブル続きで嫌になる休み明けと思ったけれど、モノの見方だ。案外良い日になりそうな気がする。

祭が引き継ぐものが羨ましい。

何回かに分けて、地車の事を考えてみましたが、単に資金集めと言うなら、本当に法人化やクラウドファンディングなんて方法も一考に値するのでしょうが、根っこにあるのが祭礼ですものね。夏フェスのような開催を目指すわけにはいきませんね。
僕の親は沖縄からやってきた言わば他所者でした。地域に馴染むために必死で働いたと聞きます。働く事によって町に居場所を作ったのでしょうか。物心つく頃には秋祭りの地車を曳くのが楽しみでした。でも、中学生の頃に引っ越し、また、他所者になってしまいました。その頃、その地域には地車もありません。仕事を始めて、新しい他所者になって、結婚して更に新しくなりました。今の住所には子供達も小学生の頃に越してきましたが、地域の繋がりの強いところで余所者が参加しづらかった祭りでした。
泉州方面では、地車が全てに優先すると言い切る人も少なからず居ると言うふうに聞きますが、羨ましい限りです。祭礼である事も次の世代に引き継げられれば、地域は人も果実も五穀豊穣なんでしょうね。